- 木田 裕介
売れたい
6月が終わった。
2019年も半分終わった。
昨年、僕は免許を失った。
この件(クダリ)は割愛。
年末にインフルエンザに罹患した僕は、
新栄2丁目に構える1Kの部屋で一人で年を越した。
テレビでカウントダウンTVを見ていた。
リアクション ザ ブッタや緑黄色社会がカウントダウンTVに出ていた。
知っているバンドがテレビの、知っている番組に出ているのは不思議だった。
置いていかれた気分に何故かなったし、実際に置いていかれているし、
何より、こちらを見ていなければ、そもそも置いていった気も本人達も無いだろう。
彼らは自分達がやるべきことをしっかりやった結果前に進んだ。
僕は免許を失って、インフルエンザのせいでいろんな約束をキャンセルして、一人で鍋焼きうどんを食べていた。情けないなあと思った。体調悪かったのも正直あると思うけど。
この感情は本当に妬みでもなければあやかりたいと思ったわけでも無い。
ただただ悔しいなと思った。
音楽でライブハウスの仕事以外も沢山の仕事をしたい気持ちは正直ずっとある。
なんなら音楽以外の仕事でもやってみたいことはある。
それでも、今の仕事はとても気に入っていてやりがいもある。
恩も、本当にある。
良い意味で、いつの日か僕自身裏方の人間としてしっかり売れたいとずっと思っている。
本人にもお話しさせてもらったことはないが、
ずーーーーっと 、O-Crestのムロさんのようになりたいと数年前から名古屋では公言してきた。
昨年くらいからはちょこちょこと現場以外でもご一緒できる機会ができているのだが、まだこのことは話せていない。
また、麻雀打ちましょう。
ライブハウスの店長として、アーティストのマネージャーとして、フェスのオーガナイザーとして、バンドを育てる人間、人を動かす力、人望、全てに置いて尊敬している。
あんな人になりたい。
そういう意味全部込めて、常々僕は「売れたい」と言い続けている。
何故ああなりたいのかはもう正直わからない。
なんで売れたいのか、よくわからなくなることもある。
目の前の仕事をしている上で出会ったバンドがいて、
信じてくれるから、
だから、やりたいことが増えていく。
投げ出したく無いから、意地が残る。
俺は30歳を手前にして、神戸に同い年のマブな友達ができるなんて思ってなかった。
滋賀や大阪にプライベートでも飲みにいく5つも6つも年下の友達ができるなんて思わなかった。
干支が一緒の東京のメジャーメーカーの先輩と未明まで呑み明かせる日がくるなんて思ってなかった。
こうして日々を越えていく先の成功が俺は欲しいんだと思う。
売れる、なんていうのは二次的なものかもしれない。
去年のShinonome Circuit、大トリを任せたスロウハイツと太陽のガッチガチの入場規制で最高の景色をみて、あんなに心を震わせれるものがこの世にあるのかと確かに思った。
けどあんな良いもの見たら、もっと大きいところで、もっと多くの人と同じものを見たい。
俺が欲深いのかもしれないけど、人間欲深いと思う。
現状で満足なんてやはりできない。
もっと先に行きたい。
この答えはやっぱり「売れたい」ということなんだと思っている。
だから「売れたい」ってやっぱり今日も言い続けている。
9年前にSiX-DOGという小さなライブハウスから始まった俺の音楽人生は、
アマチュアもアマチュアで、何も知らなくて、楽器は下手で、それゆえに何も根拠もなくて、
ただ、好きなだけで続けてきて、楽しいと思ったからできる限り、当時の俺にとっては全力で、続けてきた。
気づけばサーキットイベントなんて開催して、
バンドのインディーズ流通なんてやっちゃってる。
こんな未来は想像していなかった。
あの頃も最高だったけど、やっぱり今も最高だと思う。
目の前の具体的な課題は多すぎて、時々心折れそうにもなりますが、
まずは、
尊敬するムロさんのムロフェスとあえて日程を被せた、
今年のでらノメサーキット2019を成功させたいと思います。
俺なりの挑戦の1つです。
あと、良いイベントにしないと、出てくれる名古屋サーキット主催の大先輩、はるきちさんにもっと頑張りなよ!って言われちゃいそうなので頑張らないと。
知ってる人は知ってるかもですが、
このイベント、始めた当初は一部から反対や批判も浴びました。
けど俺はマジでこのイベント初めてよかったと思っています。
外野黙らせれるよう頑張ります。
来週にはタイムテーブルも出しますので。
ねれねえから暇つぶしに書いたブログ、思ったよりは長くなってしまった。
教習所も卒業(2回目)したし、
2019年下半期、巻き返して行きます。
バンドマン、お客さん、関係者のみなさん、
よろしくお願いします。
